多数決の話
多数決で決まるなら既に答えは決まっているナツメです。
最近所属団体内で重要事項を確定する機会が多くなり、その確定が多数決に偏っているのに不満を覚え始めたナツメです。
多数決ってそんなに大事なの?
と聞きたい。
与えられたものの中で最大限のパフォーマンスができるようにするのが僕の立ち位置だと思います。というのも僕は所属の中で各イベントの企画をしています。企画内での予算、イベントの大まかな内容は決まっているのでその中で工夫を凝らして最高のイベントにしたいと考えます。
例えば1つの企画に100万円の予算があったら100万円を最大限に使おうと思います。なぜならばその100万円はその企画のために集められたお金だからです。企画のために集めたお金を企画のために最大限使うのは普通のことだと考えます。
しかし現在所属している団体だと、100万円集めてもこれだけ分は他のことに使いたいから取っておきたいなどと言いそもそもの予算を減らそうとしてきます。
でも僕は思います。なら最初からそれだけ分のお金を集めれば良いのでは?70万しか使っちゃダメなら70万だけ集めれば?と思うわけです。謎は深まるばかり。。。
もし最初から100万集めて30万他に使う気なら、100歩譲ったとして全体にそういう風に使いますと言うのが筋ではないでしょうか。
なのにそれはせずに予算を減らしてこれでやってくれと。
言うのは誰でもできます。だって自分はそれについて言う以上のアプローチはしないのだから。
でもやる本人から言わせてもらえれば与えられたもの全てを使って企画を作り上げようとしている中で、途中をちょっと覗いた人にヤイヤイ言われてしまうと考えていたシナリオもまた1から作り直さなくてはいけなくなります。
ここで多数決。
今回の話でいけば”そりゃ安くできるならしたほうがいいでしょ”が大半。前述した通り彼らは関わっていないから目先の話だけで物事を見ているだろう。仮に僕もそっちの立場で目先のことしか見えていないならそう言うかもしれないし。第三者なんてそんなもん。
と言うことで結果から言うと予算は削られました。そらそうや、自分と関わりのないところでもお金を使わなくていいなら使いたくないって言うよね。みんなお金大好きやし。人がお金を自由に(自由ではないが)使ってたら嫌って思う人も少なくないと思う。まあ無駄遣いしているわけではないが。
僕がお金の使い道を懇切丁寧に説明したのにもかかわらず(例えば、ここの場所で予算をつぎ込む代わりに他の部分で抑えて最終的にこれくらいになるといった説明)多数決に委ねられ僕の意見はどこか地の果てに消え去ったのでまたスタート地点から考えて行くしかありません。
時間はいくらあっても足りないよ、ケチつける人なんてどんなけちゃんとしたものを作ってもケチつけるんだもん。。。
少々お疲れ気味のナツメでした。